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少し先の山百合会と前薔薇さまのお話

「「「先代の薔薇様方の話?」」」

「はい、よろしければ聞かせていただけないかな……と」

 所は今も昔も変わらない薔薇の館、ここに始めてきてから変わったことと言えば一階の物置部屋の物が年々増えていることと、階段のきしみ具合も年々増していること位だ。
 お姉さまも
「いい加減、この階段も改修なりしないとダメだね」
 なんて事を言ってたのに結局
「瞳子、階段の改修よろしくね」
 と、仕事を残したまま卒業してしまった。
 聞く話によると、お姉さまのお姉さまに当たり、遠縁ではあるが私の親戚にあたる小笠原祥子さまも卒業する前に似たような事を言い残したらしい。
 さらにさらに祥子さまも、ご自身のお姉さまに同じようなことを言われたらしいのだ。
 誰かがこのダラダラと続く風習を断ち切ってくれればと思うが、少なくとも自分では断ち切る気はあまりない。頼れる妹にでもそのうちに意思を託すとしよう。

閑話休題

 仕事も一段落したので、山百合会の面々でお茶を飲みながら一息ついていると、紅薔薇さまなんてご大層な通称で呼ばれてる私、松平瞳子。
 その妹の妹……つまり俗に言う紅薔薇の蕾の妹が、前薔薇さま方はどう言った方々なのかを質問してきたのだ。

「それまたどうして……」

 白薔薇さまであり、親友でもある二条乃梨子のごもっともな疑問。
 勿論話すのが嫌だという訳ではないけれど

「前薔薇さま方は色々と凄い方達だったって中等部でもかなり聞きましたよ」

 白薔薇の蕾の妹も此処ぞとばかりに会話に入ってくる。
 黄薔薇の蕾も口には出さないが、気になって仕方が無い様子。
 菜々を含む二年生達はお姉さま方を思い出してか、それぞれが口元にうっすらと笑みを浮かべている。

「それは現薔薇さまである私たちは凄くないってことかな?」

 二年生でありながら立派に黄薔薇さまの仕事をこなす有馬菜々が面白い物を見つけたと一年生ズを突っつく。
 そういえば、こんな菜々を見て由乃さまは
「なんだか最近、菜々がでこっぱちに似てきたわ」
 なんて呟いていたのを思い出す。菜々を窘める役割を担ってた、祐巳さまが卒業してからブレーキをかけるのも一苦労だ。
 ちなみに、菜々は祐巳さまを結構本気で怒らせたことが一度だけあるのだけど、その時の落ち込み方は物凄かった。どうしても祐巳さまだけには頭が上がらないらしい。

 菜々のその嫌味な質問を受けて、真面目な一年生達はとんでもないと萎縮。傷ついただの言って落ち込んだフリをする菜々。まだ純粋な一年生ズはわたわたとどうしたものかと戸惑っている。

「菜々、一年生をからかうのも程々にしてあげて頂戴」

 とりあえず釘を刺しておく。なんだかんだ菜々も根は真面目なので本当の意味でトラブルを起こす事はないが、一応形式として注意しておく。

「前薔薇さまっていうと、祐巳さまと由乃さま、そして志摩子さまの3人ですよね」

 白薔薇の蕾が場を持ち直すようにフォローを入れる。気の利くいい娘だ、乃梨子には勿体無いとつくづく思う。

「あの御三方は……色んな意味で凄かったです」

 前薔薇さまの事を思い出して笑みを浮かべている私の妹。
 卒業した後の3人の噂は高等部にまで届いているがそれはまた別の話。

「少なくとも、これまでの山百合会の在り方を変えたのは御三方で間違いないわ」

 お姉さま曰く構想は、水野蓉子さま……祐巳さまの姉妹制度上のおばあさまに当たる人から受け継いだものらしい。

「『山百合会と生徒の関係をもっと身近に』……か。あの3人だからきっと出来たんだろうね」

 去年の事を思い出してか乃梨子の口元にも自然と笑みが浮かんでいる。
 入学した時の、どこか諦観したような華の女子高生とは思えない枯れた表情とは全く違う。
 多分、私が乃梨子に話しかけたのは無意識的に乃梨子の笑顔が惹きつけられるものだと知っていたからだ。

「えぇ、由乃さまが我先にと先陣を切り突っ走って、志摩子さまがこれまでの山百合会の良い所を残しつつ、お姉さまが調和させる。本当に御三方は仲が良かったわ……」
「……紅薔薇さまが笑ってる」

 言われてから自分が知らぬ間に笑っていることに気付いた……乃梨子の事を余り言えた物でもない。

「こほん……そうね、折角だから前薔薇さま方のお話をしましょうか」

 いつも堂々としているように心がけている瞳子だが、祐巳さまの事となるとその演技の仮面なんてすぐに剥がれてしまう。どれほど取り繕ってもどうにもならないのだ。きっとこれからもあのぽけぽけしてるようで実はしっかりしている姉にはいつまで経っても敵わないのだろう。

「何から話したら……」

 いざ祐巳さま達の話をしてみようと言われれば意外な事に困ってしまう。何も話題に挙げるようなことがないわけではない。
 むしろその逆で、色々とありすぎた所為で何を、何処から話すのか迷ってしまう。
 それは乃梨子も、菜々も同じようで思案してる。

「前薔薇さま方は仲が良かったって聞きましたけど、それって本当なんですか?」

 紅薔薇の蕾の妹はこの話題を切り出しただけあって興味津々ということで質問をする。

「仲が良かった……なんてレベルなのかな、アレ」
「仲が良い……で済めばよかったのですけどね」

 その質問に真っ先に反応する乃梨子と瞳子。二人とも口元にはなんとも微妙な笑みが浮かんでいた。

「中等部でも有名でしたよ。なんでも歴代の薔薇さま方の中でもトップクラスに仲がいいのだとか」

 白薔薇の蕾の妹も会話に入ってくる。実際に会ったことが無い分気になっているのだろう。

「歴代云々は置いといて、仲が良かったのは事実ね。姉妹関係に負けない繋がりがあの御三方の中には存在していたわ」
「志摩子さん……私のお姉さまなんだけど、祐巳さまと由乃さまだけには冗談も言ったりしていて当時は結構嫉妬する事もあったなぁ……」

 意外。乃梨子がそんな事を思っていただなんて思わなかった。と、言うよりもそんな事を口に出して言うタイプではないから珍しかった。
 なんだかんだ言っても乃梨子も自分のお姉さまが大好きなのだ。
 同じく瞳子も由乃さまと志摩子さまの2人に嫉妬することは多々あった。尤も、嫉妬する対象は必ずしもこのお二人という訳ではなかったけれども。
 乃梨子に嫉妬することも少なくはなかった。むしろ多かった。祐巳さまと乃梨子は互いに部活には所属してなく、家の事情等も少ないので一緒に居ることがやたらめったら多かったのだ。一体どれだけヤキモキさせられたことか。

「言わせてもらいますが、由乃さまと志摩子さまはいちいちお姉さまに引っ付き過ぎでしたわ」

 この際だから言ってしまっても時効だと勝手に納得し、当時思っていたことを吐き出す。
 普段、こんな自己中心的なというか、実にもならない不満を言わないようにしている瞳子がこんな事を言っているからか乃梨子と菜々を除いた面々は目を丸くしている。
 乃梨子と菜々はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていた。ここに可南子さんが居なくて良かった……2人でも面倒くさいのに、3人ともなれば収集がつかない。
 ただ、もう口から出てしまったものは仕方が無い。ここで引っ込んでも、前に出ても碌なことにならないのなら、前のめりに倒れた方がマシ。

「妹である私を差し置いて、志摩子さまの膝枕で眠っていたり、由乃さまと手を繋いでいたり……数え出せばキリがないわ」

 そう、本当にキリがない。志摩子さまは自覚はないのだが、由乃さまに至っては見せつけるようにお姉さまに引っ付いているのを今でも覚えている。

「瞳子がそんな事を思ってたなんてね……素直に祐巳さまの前でそれを言えばいいのに」

 ぐぅ……
 それを言われると何も言い返せない。
 瞳子も祐巳さまの妹になるまで、自分がここまで素直じゃなく甘えるのが下手だなんて思っていなかったのだ。
 いつも演技している時のように他の人には甘えることができるのに、祐巳さまだけにはできない。演技派女優の名折れである。

「確かに、私が素直じゃなかったのは事実……でもお姉さまは少し八方美人過ぎなのよ。自覚ないのが質が悪いわ」

 人の好意を素直に受け取り、素直に喜べる人。
 それは簡単なようで意外と難しい。
 勿論それは美徳で、そういう部分が祐巳さまの良いところで、変えて欲しいとは思わない。思わないのだが、思うところはあるのだ。

「結構噂になってましたよ。あの3人、実はデキてるんじゃないかって」

 唐突な菜々の言葉の意味を舌の上でころころと転がし、ゆっくり噛んで、じっくり味わって咀嚼して飲み込もうとする、が

「「え」」

 飲み込めなかった。
 言葉の意味はわかる。わかるのではあるが一体全体どういうことか意味がわからない。

「あれ、知らなかったんですか?祐巳さま達の友情は世間一般で言う友情以上のものがあるんじゃないかって話を結構聞きましたよ」

 うんうんと周りの面々は肯定の意を表す。
 と、なるとこれを知らなかったのは瞳子と乃梨子の二人だけという事になる。

「ちょ、ちょっと待ちなさい。お姉さま方がその、深い関係だなんてそんなわけ……」
「そうよ、志摩子さんが祐巳さまとデキてるなんて……」

 ありえない。
 そう言う、言いたい、断言したい、絶対にありえない、そう言いたくて言いたくて仕方がなかったが

「「……ありえる」」

 言えなかった。
 思い返して見ればそんな噂が立つのも仕方ないと納得してしまうほどに御三方の仲が良かったのは事実。否定のしようがない。

「一番の有力説は『お姉さまと志摩子さまが真ん中に祐巳さまを挟んで取り合ってる』っていうのを新聞部の友人が言ってましたね」

 瞳子と乃梨子の尋常でない様子。
 普段滅多に見る事のない緊迫感漂う動揺っぷりに山百合会の面々はたじろいでいた。
 ただ一人、菜々だけはそんな二人にも物怖じしない胆力を兼ね備えているようで爆弾を幾つも落とした後に、平気な顔して紅茶を啜っている。
 菜々が紅茶を啜っているなんてどうでもいい。

 由乃さまと志摩子さまがお姉さま……祐巳さまを取り合っている。一体全体そんなバカらしい噂はどこから湧いてきたのだ。
 最初はそう思ったものの、すぐにその噂の根拠となるような出来事がぽこぽこと炭酸飲料の気泡の如く湧いてくる。

「志摩子さんと祐巳さまのお箸や筆箱なんて細々とした物がペアになってた……それだけじゃない、三年になってからよく祐巳さまのお家に泊まりに行くようになったとかお風呂に一緒に入ったとか……まだある……」

 隣で乃梨子がぶつぶつ言っていて気になる単語がぽつぽつ聞こえてくるが、とりあえずはスルーだ。今は自分の事で精一杯。
 とりあえず落ち着かせようと思ってカップを掴もうとするが震える手のせいで上手くいかない。なんとかカップを掴み紅茶をノドに流し込む。

「あっつい!」

 今さっき淹れてもらったばかりだということを失念していて紅薔薇さまとしてみっともない醜態を晒してしまう。

「うわぁ……」

 姉に向かってうわぁとはなんだうわぁとは。
 まさかこんなところでずっと築いてきた完璧な紅薔薇としての威厳に瑕がつくとは思わなかった。
 ……が、威厳云々について考えるのは後だ。瞳子の事よりも祐巳さまのほうが大事だ。

 祐巳さまを挟んで由乃さまと志摩子さまがやり取りをする。それが余りにも日常的過ぎてなんとも思わなかったが確かに言われてみれば怪しい関係のようにも見える。

 実際、あの三人の中心にいたのは間違いなくお姉さまだ。由乃さまも志摩子さまも
「祐巳さんが居なかったら私たちはここまで深く繋がる事はできなかったわ」
 なんて旨の事を言っていた。深く繋がるってなんなんだ……とりあえずそれは横に置いておこう。

 いつだか忘れたが在学中の由乃さまが
『思いっきり突っ走るのが私、一歩引いた所から物事を俯瞰する志摩子さん。性格はともかく性質は正反対なのよ』と自慢するかのように言っていたのを思い出す。
 その続きを打ち合わせていたかのように離す志摩子さまの優しい表情は今でも思い出せる。頬を染めて心底落ち着いている、リラックスしている。そんな表情だった。……今思えば恋する乙女のように見えさえする。
『私たちの間で手をとっているのが祐巳さんなの。祐巳さんがいなかったら私たちは繋がることもなく少しずつ離れて言ってたと思うわ……今があるのは祐巳さんのお陰。だから私たちは祐巳さんが好きなのよ』
 そう、確かこんなことを……

「「あ、駄目だわこれ」」

 考えれば考えるほどに、菜々の言う噂を裏付ける話が思い浮かぶばかりである。

「そう言えば、昼休みに中庭で3人揃ってお昼寝してたこともあったわね。真ん中にお姉さまを挟んで」

 そんな事を思い出す。
 当時はただ嫉妬を抑えるのに精一杯で気付かなかったが、そういう事情であるなら祐巳さまの両隣に志摩子さまと由乃さまがいつもいたのも頷ける。

「あ、その時の写真、今ではプレミアがついてますよ」

 懐から一枚の写真を取り出した菜々。
 ピストルの弾丸にすらダブルスコアをつけてしまうほどの速度で、示し合わせたかのように瞳子と乃梨子はその写真に食いつく。

「「ほぉ……」」

 すぐにでも嫉妬の紅き焔が燃え上がるかと思ったのだが、御三方の天使のような寝顔に気勢が削がれ、見入ってしまう。

 とても理想的な角度から、自然に、尚且つ3人ともが収まるように写されていた。
 このレベルの写真を撮るような人間は瞳子は1人しか知らない。
 一部では伝説的な盗撮魔として有名な武嶋蔦子さまに違いない。彼女でなくてもこんな絶好のシャッターチャンスを逃しはしないだろう。撮った本人はきっと小躍りするほど喜んだに違いない。

「「これ貰える?」」

 またしても乃梨子と声が被った。さっきからやたら被せてくるが一体どういうつもりなのか。
 祐巳さまたちの写真を手に入れて何をするつもりなのだ。乃梨子はムッツリなので、親友として乃梨子が奇行に走らないようにこの写真を保護しなければならない。

「一枚しかないので嫌です」
「「もう一度言ってもらえる」」

「「「ひっ」」」

 ぎしりと、音を立てる薔薇の館。館のそこかしこからキシキシと耳に障る嫌な音が鳴り、出ていた太陽には雲が翳り、突然強くなった風が窓をバン、バンと不規則に高圧的に叩く。
 まるで瞳子と乃梨子の『イイ笑顔』に反応したかのようだ。菜々を除いた山百合会の面々もお姉さま想いの私達を見て歯をカタカタと鳴らすほどに震えて感動している。

「瞳子さまと乃梨子さまなら妹なんですし、蔦子さまに言えばすぐに貰えると思いますよ」

 菜々の言葉には続きがあったようで、それを聞いて乃梨子はすぐに平静を取り戻した。冷静さを失うなんて白薔薇としての誇りを持ってほしい。
 ともあれ、ネガを持っている蔦子さまに言えば問題解決なのだ。そんなすぐに分かりそうなことすら思いつかないなんて私としたことが少し抜けていた。もっと気を引き締めないと。

「こほん。写真の事は置いておくとして、お姉さま……先代紅薔薇さまの福沢祐巳さまが黄薔薇さまの由乃さまと白薔薇さまの志摩子さまに挟まれていたのは事実よ。生徒たちに誤解されてしまうほどに仲が良かったのもまた事実」

 喋っているうちに誤解なのかどうかすら不安になってきた。
 由乃さまにとっては最初にできた最高の親友。
 志摩子さまにとっては、乃梨子が来る前からの数少ない心の居場所の一つ。

 祐巳さまは『THE・にぶちん』だからともかくとして、この2人は何がとは言わないが『ガチ』な気がしてきた。

 祐巳さまたちがご在学中の間も、お姉さまが由乃さまと志摩子さまと間違いを起こさないようにと妹として必死に目を光らせていたがそれでは足らなかったのかもしれない。
 私が御二方を警戒し出したのも全ては由乃さまの言った言葉が始まりだ。
『確かに私は祐巳さんの妹にはなれないわ。でも瞳子ちゃん、あなたもまた祐巳さんの親友にはなり得ないのよ!』
 その言葉はあまりに衝撃的だった。妹としてお姉さまの一番近くに居ると驕っていた自信はそこで砕け、尊敬する先輩方が敵になったのはその時がきっかけだ。
 そもそもあのお二方は……

「ただ仲が良かっただけじゃない。しっかりとぶつかる時はぶつかり合ってたのよ」

 はっ。
 つい自分の思考の海へとトリップしてしまった。乃梨子の方が正気に戻るのが早かったなんて屈辱だ。

「そう。でもどんなに対立しても親友なのでしょうね、喧嘩しても、すれ違いがあっても、誰の助けも借りず、3人の中で解決するの。そこに姉妹関係が関わることはなかったわ。悔しいことに3人には3人だけの誰も入り込めない特別な絆があったのよ」

 乃梨子に乗っかって言葉を紡ぐ。これで取り繕えた筈だ。
 しかし、もう落ち着いてお茶会しながら昔話をしようという心中ではなくなってしまった。とっとと帰って乃梨子と対策会議を開いてこれからの方向性を練らなくてはならない。

「結局の所、とても仲が良かったというだけよ。薔薇さまというネームバリューがそこに尾ひれを生やしただけではないかしら」

 あくまで冷静に。綺麗に纏めて、出来うる限り薔薇として終わらなければ。とてもそうは思えないがそういう着地点を一先ずは作っておくのだ。

「ともかく、今日は仕事もないから解散よ解散。お姉さま方の話はまた今度にしましょう」
「じゃ、私達は先に帰るから。お疲れ様」

 乃梨子もまた私の意思を汲み取り、スパっと切り上げてかばんを持って立ち上がる。

「「ごきげんよう」」

 マリアさまが見ているのだから挨拶だけはしっかりとして帰るのだ。
 ただ、お姉さま達は私達が見ていなければいけない。だから急ぐ。
 私も乃梨子とほぼ時を同じくして立ち上がり、ビスケットのような扉をくぐる。




「乃梨子、勿論今日は泊まりに来るわよね」

 そんなこんなで帰り道、校門までいつもより気持ち早めに歩く。
 蔦子さまの写真の件、祐巳さま達が恋仲云々の噂の件と私達の前に大きな課題が降りかかってきた。

「そりゃね。着替えも置いてあるし、このまま直接行くわ……後で電話借りるわよ」

 乃梨子と2人で溜まった仕事を持ち帰ってこなしたりしているうちに、いつの間にか私の家に乃梨子がいることが多くなった。
 家族も乃梨子の事をいたく気に入っているし、乃梨子の保護者に当たる菫子さんも私の事を信頼してくださっているので迷惑でも何でもないのだけれど。
 ……ただ、タンスを一段占領され続けているのはどうなのかと思うけれど、毎度毎度着替えを持ってくるのも面倒くさそうなので見逃してあげている。
 このまま乃梨子を伴って帰り夕食を食べ、時間短縮の為に一緒にお風呂に入った後、広めのベッドで乃梨子と2人で眠らない夜の会議が始まるのだ。




 所戻って、嵐が過ぎ去って静けさに包まれている薔薇の館。
 今日は普段見ないような薔薇さま方を見れたことから、それぞれが思い思いの感情を抱いているのだが、最後の瞳子と乃梨子の2人を見て全員が同じことを考えていた。

「あの2人は気付いてないんでしょうね……現紅薔薇さま白薔薇さまが実はデキてるんじゃないかって噂されてることに」

 ボソりと呟く菜々に無言の賛同を送る現山百合会のメンバーなのだった。
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喫茶リリアン

 祐巳たちが喫茶店を切り盛りしているおはなし。
 プロローグ的な書き方をしたので続くかもしれません……




「ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 さわやかな朝の挨拶が澄み切った青空……ではなく、濃く落ち着いたオーク色で統一されたシックな店内にこだまする。
 マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で背の高い門をくぐり抜けていっている裏で、乾拭きしているカップはシミ一つなく快晴の空に浮かぶ雲の様に真白。
 汚れを知らない心身を包むのは、白い長手のシャツと丈の長めの深い色のスカート。そして、スカートと同じ色のエプロン。アクセントに胸元にワンポントのワッペンと目立たない程度のフリル。

 私立リリアン女学園……の割と近くにある喫茶『薔薇の隠れ家』。
 少々、大通りから離れているもののとある駅からアクセスもよく、温室育ちの純粋培養お嬢様たちに居心地の良さが評判の隠れた名店。
 リリアン近くにあることから『喫茶リリアン』だったり単純に略して『隠れ家』だったりと色々な呼び方をされる。

 一部の生徒は帰り際に寄り道して、そこのマスターにお小言を貰うのだとか。その生徒曰く、お小言が癖になるのだと言っているのはまた別のお話。

 そんな喫茶店がリリアンのお嬢様方に人気なのは、落ち着いていながらリーズナブルなお値段、繊細な舌を満足させる質の高い茶や料理。
 そして、そこで働いている3人のマスターのサービスが親切で、麗しく、リリアン出身の元薔薇さま方だというではないか。

 そんな乙女の園から少し離れた喫茶店のおはなし。

 なんでもそこにはリリアンの生徒や現山百合会の役員、果ては教師まで色々な相談や愚痴を持ちかけたりもするという。
 元紅薔薇さま曰く、ここにいる間は皆が妹なのだとか。









「祐巳さん、志摩子さん、買出しに行って来るわね」
「いってらっしゃーい」

 平日の昼過ぎ。ランチタイムも終わってお客様も丁度良い具合にいなくなり、その後始末も由乃さんと志摩子さんと一緒に殆ど終わらせてしまった。後は、細かなところくらいなもので由乃さんがいなくても問題はない。


 ここはリリアン女学園……から少し離れたところにある喫茶『薔薇の隠れ家』
 リリアンを卒業してから色々と紆余曲折とすったもんだとかなんやかんやあって、親友の島津由乃さんと藤堂志摩子さんの2人と小洒落た喫茶店を切り盛りしている。
 今に至るまでに本当に色々あったのだけれど、全ての切欠はいつか祐巳が呟いた

「これからもずっと……大人になっても3人一緒でいたいね」

 この言葉が元凶なのだと、親友二人は言う。
 勿論、その時の祐巳に喫茶店を三人で切り盛りしようなんて案や、どうこうしたいなんて考えがあったわけではなくただ単純に思ったことを呟いただけだったのだけれど。
 ここを開くに当たってお姉さまである小笠原祥子さまと、妹の松平瞳子が色々と協力してくれて祐巳としては頭が上がらない。……あと、一応柏木さんも協力してくれたりしたけれど祐巳としては複雑である。

「祐巳さんは何か飲みたいものはあるかしら?」

 上品なエプロンで身を包み少しばかり首を傾げる志摩子さん。出会った頃よりも危うさのない落ち着きと、大人の色香と上品さが合わさって思わず生唾を飲んでしまう。美人は三日で飽きるだなんて言うけれど、祐巳には到底信じられない話だ。出会ってからそこそこ長いのだけれども未だにその綺麗さにクラクラする。

「うーん……志摩子さんと同じものでお願い」
「わかったわ。美味しく淹れるから待っていて」

 シンクを拭いたカラーダスターを洗いキツメに絞る。そしてキッチンに一番近いテーブルへと移動して椅子に座った後に軽く伸びをする。
 この時間帯は表の立て看板を引っ込めているので人が来ることも少なく、来たとしても顔見知りの場合が殆どだったりする。個人?経営の喫茶店だから融通が利き易くて伸び伸びと働けるのが祐巳にはお気に入りの点だ。

「お待たせ。マンデリンのブラックよ」
「ありがとー」

 そんなこんなでぽけーっとしていると志摩子さんが良い香りのする珈琲を持ってきてくれた。
 ちなみにこの店は珈琲だけでなく紅茶も置いてある。どちらの味も祥子さまと瞳子、あと一応柏木さんの舌を唸らせるほどの出来栄えで自慢である。飲食店の決め手はやっぱり味なのだ。
 志摩子さんのお姉さまである佐藤聖さまなんて、週に一度はここの珈琲を飲まないと禁断症状が出るとまで言って太鼓判を押してくれた。

「はぁ……癒される」

 祐巳自身が大人になったなぁ……と、一番感じるときは正にこの砂糖の入っていない珈琲を美味しいと思えるようになったときだ。
 それも今飲んでいるのは苦味が強めのマンデリン。苦味が強いといっても舌に刺さるえぐみのある苦さではなく、ほら苦さが深いコクと合わさって絶妙な味わいと後味が楽しめる人気の品種。
 深みのあるしっかりとした苦味はミルクを足してカフェオレにしてもこれまた美味しい。

 珈琲の良さを知ってしまった今では砂糖をドバドバと淹れるのなんてとんでもない!とすら考えてしまうもの。
 ブラックの珈琲なんてただ苦いだけと思っていた頃の自分に、損をしていると教えてやりたい。

「それにしても今日はお客様が少ないわ」
「パラパラと雨も降ってるからテラスも使えないね」
「あのお方も気が滅入ってそうね」
「それだけうちの事を気に入ってくれてるって素直に嬉しいからいいんだけど」

 あのお方っていうのは天気の良い日に来る常連客の一人で、いつもテラスで何かしらの本を読んでいる。
 他のお客様が居ない時は、話し相手にもなってくれる開店前からの付き合いである。……というか元店主なんだけれども、その話はまた今度。

「志摩子さんの淹れる珈琲は相変わらず美味しいなぁ……なんだか飲みやすい気がする」
「そうかしら?私は祐巳さんの淹れる珈琲も好きよ。すごく丁寧に淹れているのが伝わってくるもの」

 そして顔を見合わせて笑いあう。
 余談ではあるけれど、志摩子さんも由乃さんも祐巳もコーヒーのバリスタに関する資格を持っていたりする。あと料理だったり、紅茶に関してだったり、経営に関しても三人できっちりみっちり勉強している。そのことで、令さまが

「いつのまにか由乃に料理の腕を追い越されていて、なんというか……複雑」

 と、ぼやいていたのが記憶に新しい。
 お約束というべきか由乃さんの地獄耳は令さまのその一言をしっかりと聞き取ったらしく、ぷりぷりと怒っていた。
 複雑なんて言っているけれども、令さまの料理スキルも高校の頃より上がっているし、店で提供するものと家庭料理の差があるので、単純にどっちが上手いなんて話ではない気がするけれど。
 経営に関してはリリアン高等部の頃に山百合会として三人とも雑務をこなしていたのが幸いしてか、基盤が出来ていたので結構すんなりと勉強できた。

 店を経営するには生半可なものではダメだと三人で苦難を乗り越えてきたのだ。他の誰でもダメ、由乃さんと志摩子さんがいたから今の祐巳があるのである。

「ふわぁ……」

 お客様が来ているときは自然、気も引き締まって仕事に集中できるのだけれども一度気が抜けてしまうと眠気が出てきてしまう。
 きっと夜更かししてしまった所為である。もういい大人なのだから、夜更かししすぎるとよくないのだけれどもそう簡単に直せるものでもない。

「祐巳さん?」

 ぽけーっと気の抜けた欠伸をひとつついたのに気付いた志摩子さん。
 祐巳へと自然に手を伸ばして頬を優しくゆっくりと触る。少しくすぐったい。

「祐巳さん、また夜更かししたのね」

 志摩子さんに頬を触られるだけで、祐巳の状態がバレてしまう。もう百面相を抜きにしても志摩子さんには嘘をつけないんだなぁ……しみじみ。

「……うん」
「そう、夜更かしした理由ってやっぱり……」

 最近の祐巳は夜更かしばかりする少し悪い子なのである……子、という年でもないのだけれどいつだって心は若いままなのだから放っておいて欲しい。
 身長や童顔も相まって未だに高校生に見られたりするのでなかなか大人の実感がつかめない。志摩子さんなんてすごく落ち着いてて見た目とか抜きにしても雰囲気というかオーラが『大人』って感じがする。

 でも、よくよく考えれば高等部にいた頃から大人だった気がするから、そもそもの資質だということか……不公平だ。

 ともあれ、理由なく夜更かししているほど祐巳もダメ人間ではない。曲がりなりにもリリアン高等部で紅薔薇の大役を仰せつかっていたのだ。そこらへんはある程度きっちりとしているつもり。
 ならば何故に夜更かしを続けているのか。それには(祐巳にとっては)マリアナ海溝よりも深い理由があるのである。

「そんなにカレーが大事かしら?」
「大事だよ!喫茶店といえばカレー!カレーといえば喫茶店!」

 眠気を押し退けて、頬に触れる志摩子さんの手を両手で包みながら、勢いよく立ち上がり力説する祐巳。
 その勢いに思わず目を丸くしている志摩子さん。しかし、判ってもらわなければならないのだ。喫茶店にカレーは必要なのだと。

「喫茶店にカレーって付き物だって言う私の勝手なイメージはあると思うの。ここのメニューはどれも美味しくて今更カレーがなくたって十分やっていけるのはわかってる」

 このお店……『薔薇の隠れ家』というのは三人でいきなり開店したわけではなく、単純に言えば譲り受けたというか、継いだというか……そういうものなのである。
 なのでメニューなんかも昔の物だったりを受け継いだり、改良したりしているわけだ。

「でも、カレーに限った話じゃなくて、新しく看板メニューの一つでも作れるようじゃないときっとダメだと思う。それに実際商品にならなくても、この経験が生きる機会がきっと来るはずだから」
「そう……」

 志摩子さんは柔らかに微笑んで立ち上がった。
 もう片方の手のひらで祐巳の手をふんわりと包み込む。

「それなら私も手伝うわ。きっと由乃さんもね」
「へ?」

 思わず気の抜けた声が出てしまった。
 志摩子さんはそんな祐巳をみて少し、口を尖らせる。

「水臭いわ、祐巳さん。そんな風に考えているなら言ってくれればいいのに」
「で、でもそんなのは後付けで、キッカケは私の勝手なイメージだから……」

 立派な理由はあっても、切っ掛けは祐巳の思い込みに過ぎない。そんなくだらない事に付き合ってもらうのは忍びないというかなんていうか。

「後付けでも、そう思ったのは事実なのでしょう?なら問題ないわ」

 それに……と付け加える。

「私も最近は喫茶店にカレーは外せないのではないかと思ってたところなの」

 パチリとウィンクする志摩子さんは、とってもお茶目で子供っぽかった。

「カレーの話は追々していくとして、少し仮眠でも取ったらどうかしら?」
「そこまで酷い顔してる?」

 寝不足の嫌いはあるけれど、態々仕事を休むほどの疲労は感じていない。

「いいえ。でも、私や由乃さんには祐巳さんが疲れているってことがわかるわ。祐巳さんは昔から頑張りすぎる所があるから、こうしてガス抜きさせてあげないとダメなの」
「ダメなの……って言われても」

 祐巳もちゃんと学んで自己管理はできるから、今では無理のしすぎで倒れるなんてこともしなくなっているのだけれど志摩子さんはきっと聞く耳を持ってくれない。
 志摩子さんは意外と頑固モノなのだ。

「それじゃあ、ちょっと眠らせてもらうね。忙しくなったら呼んで」
「分かったわ。直に由乃さんも帰ってくるだろうしゆっくりおやすみなさい」

 祐巳は志摩子さんの好意に素直に甘えることにした。

 一階にある小さい応接間のソファに身体を放り投げて思い切り伸びをする。
 応接間と言っても、喫茶店なので殆ど使われることがないので実質的には物置だったり制服に着替えたりする部屋と化しているのだけれど。
 二階の祐巳の部屋で休んでもいいのだけれど、忙しくなったときに呼びやすいということでここで眠ることにしよう。

「うぅ、ん……」

 祐巳の思っていた以上に身体は疲れていたようで、ソファに横になるとすぐに睡魔が祐巳を包み込む。
 自分の身体のことなのに、志摩子さんの方が把握していてなんだかなぁ……それもまあいいかなぁ……なんて考えているうちに意識は沈んでいった。





「んぅ……」

 ぼんやりとした意識。
 寝ぼけている頭でなんとか理解したのは仮眠を取っていたということ。

「あら、起きた?」

 ゆっくりと瞼を開けると、こちらを見下ろすように三つ編の似合う可愛い女性の顔。

「おはよう、由乃さん」
「はい、おはよ」

 寝起きに由乃さんの甘くて心地よい声。その心地よさに思わずまた眠ってしまいそうになるけれど、なんとか踏ん張る。

 その心地よさは由乃さんの声だけの力ではなく、祐巳が枕にしている由乃さんの太腿の力も大きい。
 祐巳の意志の力も由乃さんの膝枕の魅力には敵わないようで中々起き上がることが出来ない。

「志摩子さんが、今は暇だから休憩でもどうぞってね。それでここに入ったら祐巳さんが寝てたから」

 由乃さんも買出しから帰ってきた後に、ここで休んでいたということらしい。

「あんまり疲れてなかったんだけど、祐巳さんの寝顔を見られたってことでラッキーって感じかしら?」

 ラッキーだなんていわれても、今更祐巳の寝顔なんて見慣れているだろうに。

「私も、由乃さんの膝枕で寝られてラッキー」

 そう言ってスリスリと由乃さんの太腿に頬をこすりつける。

「ちょ、ちょっと祐巳さん、くすぐったいってば」
「極楽じゃー極楽じゃー」

 寝ぼけている勢いで、目の前に広がっていた由乃さんの下腹部分に顔を埋める。

「祐巳さん、いい加減に……」
「よいではないかぁ」

 そんな由乃さんの言葉なんて無視して、由乃さんのお腹に顔を埋めながら深呼吸する。
 志摩子さんも由乃さんも一体全体どうしてこんなにいい匂いがするのだろう。

 可愛い由乃さんは反応まで可愛くて、一粒で二度美味しい。ありがとう。合掌。

 この極楽をほぼ独り占めできる親友というポジション。役得である。
 きっと由乃さんか志摩子さんが彼氏か婚約者でも連れてこようモノなら一発ぶん殴って追い返してしまう。それくらいに2人が魅力的で大好きなのだ。

「いい加減に……しなさい!」
「あいたっ」

 ごちん、と由乃さんの鉄拳制裁が祐巳の脳天へと突き刺さった。悪乗りしすぎてついに由乃さん火山が噴火してしまった。
 鉄拳制裁を落とした後に、下腹部に引っ付き虫をしていた祐巳を力ずくで引き剥がし座らせる。

「あぁ……」

 名残惜しい。せめてあと10分くらいは由乃さんを堪能したかったというのに。

「『あぁ……』じゃないわよこのバカ!」
「いたっ」

 お次はデコピン。流石にやりすぎたのかもしれない。
 そんな由乃さんは顔を耳まで赤くして、呼吸が乱れていてなんだか色っぽかった。

「だって由乃さんが良い匂いするのが悪いんだもん」
「悪いんだもんって、ねぇ……」

 こんな悪ふざけができるのも由乃さんと志摩子さんだけだ。気心の知れた仲だからこそ過剰すぎるスキンシップだって取れる。
 だれかれ構わずこんなことをしている祐巳じゃあない。

「祐巳さん、だんだんと聖さまに似てきてるわよ……」
「んな……!」

 祐巳が主導を握っていたと勝手に思い込んでいたその流れは、由乃さんのその一言によってあっさりと断ち切られた。

「私が……聖さまに?」
「うん。セクハラもそうだし、セクハラ中の言動とかも聖さまそっくり」

 思わず頭を抱える祐巳。
 別に聖さまが嫌いなわけではなく、好きか嫌いかで言わなくても好きな人で心から尊敬している人だ。
 しかし、聖さまを聖さまたらしめている悪癖……『中年オヤヂのようなセクハラ』の部分なんかが似ていても流石に嬉しくはない。

「志摩子さんも、この間同じこと言ってたわよ」
「志摩子さんまで!?……うぅ、これも全部聖さまの所為だ」

 聖さまは間違いなく祐巳の人生に大きな影響を与えた一人だ。
 故に、この聖さまのような悪癖が祐巳に伝染してしまったのも元を辿れば聖さまが原因なのだ。

 恨んでやるーっとここにはいない聖さまに向かって念を飛ばす。

「とりあえずこのお説教は夜ね」
「はぃ……」

 由乃さんは祐巳に大きな傷を負わせても尚、気は済まない様で、仕事や夜の食事などが終わった後にお説教に来ることが確定してしまった。

「それと、カレーの件も志摩子さんから聞いたからそれもお説教よ」
「へ?」

 この気の抜けた声が出てしまう癖、意識していれば止めれるのだけれど、大抵の場合は意識していないのだから結局治らないのだ。

「切欠は祐巳さんらしいけど、しっかりした考えがあるんだから言ってくれないと拗ねるわよ」

 志摩子さんの口からカレー云々の話が由乃さんに伝わっている。
 切欠が切欠だったから言わなかったのだけれど、親友的には許せなかったらしい。

「何より、祐巳さんが寝不足になっているのなんて見たくないから一人で抱えないこと。分かった?」

 人差し指を立ててずいっと祐巳に迫る由乃さんの勢いに思わず頷く。

 それほど大したことじゃないから黙っていたつもりだったのだけれど、そんな事言っても
『そういうのが一人で抱えてるって言うの!』
 と、由乃さんからの愛の篭ったお怒りを受けるに違いない。




「それじゃあ祐巳さん、戻るわよ」
「うん、そろそろ時間だろうし」

 由乃さんに促され、畳んでいた深い色のエプロンを着て由乃さんに軽く髪を整えてもらって店に戻る。

 そろそろマリア様の庭に通う、悩み多き子羊達が帰宅している頃合だろう。
 そして、どこから知ったのか物好きな一部の子羊たちがこのお店にやってくる時間だ。

「志摩子さん、休憩ありがとう」
「ゆっくり眠れたかしら?」
「うん!」

 応接間を出て、志摩子さんにお礼を言うといつもの柔らかな笑顔を返してくれた。

 さて、気分を切り替えて仕事に励まなくては。

――カランコロン。

 ほら、来た。
 美味しい紅茶やコーヒーと、静かで落ち着いた店内。
 そして、心安らぐひと時を過ごしてもらうのが祐巳たちの仕事であり、楽しさ。

 それとこの店にはもう一つ特徴があるのだ。
 来店した時の挨拶……それが『いらっしゃいませ』ではない。
 リリアン出身の元・三薔薇さま。ならばその挨拶もリリアン式。

 ドアをくぐったお客さまに、上品に優雅に親しみを持って声をかけるのだ。

「「「ごきげんよう」」」
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